一生働き、一生学ぶ。

2016.04.26

うちの畑によく遊びに来てくれる近所のおばあちゃんがいます。
年齢は80歳をゆうに超えているのですが、
毎日、自分の畑に出て本当によく働いています。

とても僕らのことを可愛がってくれて、
今日は、おばあちゃん手作りのドーナツを差し入れてくれました。
ザラザラの白い砂糖がまぶしてあって、飲み物がないと喉につまって
しまうくらいパサパサ。
だけど、素朴でとてもほんわかしたおいしいドーナツ。

そのおばあちゃん、僕らよりよっぽど農業経験が長いのに、
どんな風にやってるのか、何の品種を使ってるのか、
この資材は何か?など、とにかく質問しまくり。
そして、「みんなは上手いからな、勉強しないと」
と言って帰って行きます。
で、いいと思ったものは自分の畑にどんどん導入していく。
その学びに対する貪欲さはこちらが驚いてしまうくらい。

思い返してみれば、僕のじいさん(ちなみに桃の農家でした)もそうでした。
80歳を過ぎてから老人大学に通い、夜は毎日、書道を続けていました。

引退して悠々自適な生活もいいのかもしれないけど、
僕は、一生働き、一生学んで生きたいな。

そんな風に思わせてくれる人が近くにいて、とてもありがたいと思います。

LINEバイトCMのモヤモヤ

2016.04.13

モヤモヤが止まりません。
たまたま見ていたテレビの途中に流れてきたLINEバイトのCM。
バイトに応募しようとしている学生の胸の中から人が出て来てつぶやくアレです。

“バイトの応募で電話しようと思っているんですが、
いま電話かけていいんだろうか?この時間は迷惑じゃないか?
休憩時間だと申し訳ないし、忙しい時間だとサイアクだし。。。
と迷っているうちに一週間が過ぎました。
これはもう、このバイトに縁がなかったのだと理解して
あきらめようと思います。。。”
すると、元気いっぱいの女の子が
“LINEバイトなら、LINEで応募先とやり取りができるんです!


んーーーーー、何だろうこのモヤモヤ。

もちろん、この学生の悩みはよくわかる。
僕自身、初めてのアルバイトの時など、応募の電話をかけては
切ってを何度かやったことを思い出した。
(今考えると、ただのイタズラ電話・・・)
この「不安」とか「葛藤」とかって、バイトの応募に限らず、
例えば好きな異性に初めて電話をするという行為にも通じることのような気がする。

で、この「不安」「葛藤」を、勇気を出してエイって乗り越えることって、
すごく大事なことのように思うのです。
振り返れば、なんであんなことでドキドキしたんだろうって思う、
そんなことが実はとても大きな壁で、そういう「振り返れば小さいけれど、
目の前ではすごく高い壁」というものを何度も何度も繰り返し登ることが
自信につながり、成長して行くもんなんだよなと。

そんな風に思う人間からすると
「そこのハードル下げるのってどうなの????」ってすごく思ってしまう。
採用はしやすくなるのかもしれないけど、
応募しやすい、人が集まりやすいっていうこういう目の前の「便利さ」って、
長期的に見た時には、人財力の低下を招いている要因でもあると思う。
人対人のコミュニケーション力がもっと落ちていっちゃう。。。

そう思ってしまうのはオッサンだからなのかな・・・?
みなさんはどう思いますか?


新入社員研修で教えられたこと

2016.04.08

毎年、新入社員研修を開催させて頂いていますが、
今年も初々しい新社会人のみなさんが集まりました。
毎年思うのですが、研修は参加される新入社員の方々にとっての
学び・気づきの場であると共に、
私たちにとっても学びの場であり、気付きの場となっています。
今回も、色々と教えられることがありました。

研修最終日。
振り返りをしている中で、多くの参加者が
「人と仕事を進めて行くうえでは、コミュニケーションがすごく大事だ」
ということを言っていました。
そして、そのためには、一緒に働く人のことを理解することがとても大切と。
これは、農作業を2日間チームでやってみた皆さんの実感からきたもので、
僕もそうだったよな〜と改めて思うものでした。
では、どうしたら理解することができるか?という議論をしている時に、
ある参加者が言いました。
「22年間生きてきたけど、自分のこともよく分からない。だから、人のことなんてもっと分からない。理解できると思うと間違いが起こるから、理解できないんだと思って、知ろうとすることが大切なんだと思う。」と言ってくれました。

すごい22歳もいるもんだな、と素直に思いました。
実際、自分自身にも思い当たることがたくさんあります。
今、一緒に働いてくれている相棒は17年間の付き合いなのですが、
それだけの時間を共に過ごしているので、
ついついあうんの呼吸、ツーカーの仲だと思いがちです。
もちろん、そういう部分もたくさんあるのですが、一方で、
「え、そんな風に思ってたの?」というズレが半端なく大きくなることも。

分かってくれているだろう、理解しているだろう。
相互の理解を深めるとは、この「だろう」を無くし、
常に「分かる努力」と「分かってもらうための努力」を
お互いに繰り返し続けることなのだと思います。
そして、このやり取りに終わりはない。
そういうことなのかな?と教えてもらいました。


働くということ

2016.04.02

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新年度になり、ニュースやFBで新入社員の記事がたくさんですね。
この季節になると、自分自身の新入社員を振り返り
「ひどいもん」だったなとつくづく思います。
どこら辺がひどいかというと、まず入社式に遅刻。
僕が入社した会社はグループ採用で、入社式を帝国ホテルという
立派な会場でやったのですが、僕が会場に入ったら、壇上に役員勢揃い。
席に座ったと同時に「入社式を開始します!」とスタート。
初日から、役員以上に役員出勤ですもん・・・。
入社式後、こっぴどく叱られてからの社会人生活のはじまりでした。

もちろん、そんな状態ですから、
仕事始まってからも「おいおい」ということが続き、
ミスの連打に「ごまかし・隠蔽」の追い打ちをかけて事態はますます悪化。

今思えば、よく仕事をやらせてもらってたな。

もうこうなると、毎日が憂鬱で仕方ない。
自分で地雷をせっせと埋めては、自分で踏んで爆発させてる状態なので。
でも、これがなかなか抜け出せない。

で、僕にとってありがたかったのは、そんな状態なのに、
非常に辛抱強く、愛情深く(怒りも相当激しかったですが・・・)
向き合い続けてくれた上司がいたから。

その人から一貫して言われたことは「お前はやさしくない」ということでした。
相手の立場に立っていないということですね。

全部「自分の視点」で見て、判断して、行動して。
それじゃいつまでたっても、誰かの役になんかたてない。
働くってのは、誰かの役に立って初めて成立するものなのに。

自分がそれまで思っていた「優しさ」は、
自分が「優しい」だろうと思ってやったこと。
もっと言えば「優しいと思ってもらえるだろう」という視点。
(ちょっとイヤらしい 苦笑)

大事なことは、
相手の人が「よかった」「ありがたい」「うれしい」と思えることで、
そのためには相手の立場に立って、相手のことを考えて、
どこまで言っても想像することしかできないけど、
そのできることを最大限する。そういうことなんだろうな、と。

そんなことがやっとうっすらわかってきたのは、3年目に入った頃。
それまで、ずっと向き合い続けてくれた上司には本当に感謝です。
今、こうして自分が仕事をしていられるのも、その上司のお陰です。

そんな上司に僕もなりたいと思います。